そろそろ卒論のテーマを限定しないといけないので、

 ぼんやりと、音楽を聴くこと、そしてそれがここ最近のネットの普及でどう変わってさらに楽しくて生産的なものになっているのか、というようなことを書きたいと思っていた。ぼんやりとしていたが、いつまでもそんなこと言ってらんない!

 というわけで、上のようなことをどうしたら説得力もって書けるかを考えていたところ、見田宗介の『現代社会の理論』という新書が、何かぼくに対してヒントのようなものを与えてくれた。彼は現代の資本主義社会がどのような特徴をもってまわっているシステムであるかを明らかにし、それがさらに「情報化・消費化」というタームに入ってどう変化しているのかをわかりやすくまとめてくれた。さらに、最後のほうでは、その「情報化」というヒントによって、現在地球規模で生じているような社会問題をクリアできるのではないか、という展望を書いていてくれた。
 うん、ぼくもそう思います!!資本主義社会が完成したものだなんて誰も思っていなくて(いや、新自由主義的に言うともしかしたら思っているのかもしれないけれど)、だけれども昔の左翼みたいなやり方はもう力が無いように見えるので、この世界を否定しないでどうにかより良く生きていけないか?という思いが根底にあって。そんなところに「ネット」はより楽しくより豊かな生活を成立させてくれるような感じがして。
 そのよーなぼんやり感を、しっかりと理論化することができるのかもしれないという予感・期待が生まれてきたのだ、この本によって。

 さて、ではどうするのか。
 キーワードとして「メディア」「プロシューマー」「コンヴィヴィアリティ」というものを今のところ考えている。メディアがデジタル化することで、今のような次の段階の便利で参入障壁の低いネットワーク社会が成立し、それが消費者と生産者という以前までの区分けを曖昧なものに変化させている。まずはこのネットワーク化とプロシューマーの成立を歴史的に追い、対象としてやはり昨今の音楽業界周辺を見る。そんで、これらの変化の基盤として存在するのがインターネットの普及によるネットワーク化であり、そして実はそのインターネット成立の初期にあったイヴァン・イリイチへの共感を、今のネットワークにおけるお楽しみ感覚としてコンヴィヴィアリティという観点からまとめて見られるのではないか。彼の思想的に言うと、そういった態度によって産業化する資本主義のネガティブな側面をクリアしようぜという方向なので、ネットワーク化によってそれが現実化し、ぼくらはそういった理想に近づけるかーもね、というようなお話。
 うへ、適当に書いたら適当すぎてひどい。しかし、ちょっとメモということで。うん、だいたいの骨子はこんな感じじゃないか?気になるもん。面白そうではない?もう誰かこんなこと書いてるのかな。
 
 とりあえず、こんなこと書きながらイリイチをちゃんと読んでないので読む。そしてちゃんと思想部分を理解してまとめる。

 どうなのかなぁー。。。。。